115、震災から20年、あの時。

阪神淡路大震災から20年が経過した。

1995年1月17日午前5時46分。

6434人の方が犠牲になられた未曾有の大震災。

あれから20年、昨日の神戸市での追悼式には、14000人が参列して、

犠牲者の冥福を祈り、未来への力強さを後世に誓っていた。

人は天災の前では非力だ。

しかし日本人の困難に立ち向かう意思ほど強いものはない。

この意志の強さが、復興のスピードを加速する。

神戸市も、建物は驚くほどのスピードで再興しているが、

多くの方々が、市内には住めなくなり、郊外に移住した。

古くから商売を営んでいても、家賃や維持にお金がかかりすぎては、商売が出来ない。

長田区などは、確かに建物は新しくなったが、本当にそれが幸せと感じているのか。

元の木造やバラックで、肩寄せ暮らしていた生活を望んでいたのではないかと。

天災・地震は全てを奪う。

生まれた場所が人のサンクチュアリ(聖地)とすれば、

これを奪われることほど、悲痛な事はない。 

形のないもの・見えないものは、大事なものが多い。

少しでも役に立ちたい。手助けをしたいと、人は望むが、

人は十人十色、それぞれが求めているものが違う。

東日本大震災もそうだが、非力なりに何ができるのかよく耳を傾けたい。

式典のニュースを見ながら考えていた。

 

この年は激動の年だった。

阪神淡路大震災・オーム真理教の地下鉄サリン事件。 異常だ。

その震災前年の94年は、まだバブル経済まっだだ中で、日本中が浮かれていた。

まさにバブリー。仕事で海外へも行ったっけ。

出張先のアメリカでは、サッカーワールドカップアメリカ大会の

開催中だったと記憶している。ロス、サンフランシスコ、フエニックスの空港でも、

サッカーワールドカップ一色だった。

震災翌年の96年に結婚したから来年は結婚20周年だ。

だから震災前後は自分にとってもエポックメイキングな年だった。

 

さて昨日は仕事で秩父に伺いました。

木曜日の雪、伊勢崎はすぐに止みましたが、秩父は少し積もったようです。

伊勢崎から1時間ちょっとで秩父までいけますが、

やはり秩父連山に囲まれた盆地の街。寒いです。

路肩は、あちこちで除雪がしてあります。 武甲山も冬景色です。

 

ランチに珍達そば横瀬店でラーメンをいただきました。

珍達そば、地元では長年愛されているソウルフードです。

店内には創業からの写真が飾ってありました。

珍達そば・横瀬店

〒368-0072 秩父郡横瀬町大字横瀬5291

浅めの中華どんぶりに、醤油ベースのラーメンです。

細麺の麺とスープの愛称がいいです。ネギと豚肉が食欲をそそります。

ラー油や御酢を掛けて食べてるかたもいました。

やはり寒いこの時期、ラーメンは美味しいですね。