48、赤福と伊勢たより。

先日18~19日と滋賀県・三重県へ出張でした。

訪問させていただきましたお客様におかれましては、お世話になりました。

初日は早朝から出発したのですが、中央道は諏訪から先、伊那・飯田と雪に見舞われ、

センターラインも見えず、冷や冷やの運転です。

愛知の小牧を越えてからも関ヶ原・養老辺りまで雪まじりです。

滋賀で商談を終えて、新名神高速道路で、三重に初めて訪れました。

山は雪混じりで伊勢道も雪です。

商談を終えて伊勢市に宿泊です。

せっかく伊勢に来ましたので、帰りは伊勢神宮に参拝してまいりました。

やはり日本における神社の最高位、荘厳な雰囲気と格式は別格です。

帰りは伊勢神宮の門前町・おはらい町にある赤福本店に立ち寄りました。

伊勢土産と言えば赤福という程、市内のあちこちに看板があります。

子供のころ、名古屋のお土産は決まって赤福でした。

40歳を過ぎて、あんこが食べられるようになりましたが、

最近まであずきや甘い物が苦手でした。

今は食べ物の味覚も変化し、あんこも食べられるようになりました。

最近まで食べれなかったのに(笑)今はおいしい。緑茶との相性抜群。

小さい頃は気づきませんでしたが、赤福の箱の中には、伊勢地方の

暮らしの歳時記を版画にした「伊勢たより」という素敵な栞が入っています。

気付かないと捨てられそうな小さな栞ですが、365日毎日違う絵柄と文で

構成されていている版画が楽しめます。毎日ですから頭が下がります。

(詳しくは赤福さんののHPをチェック!  http://www.akafuku.co.jp/ise/ )

接客の様子を見ておりましたが、やはり行き届いております。

ホスピタリティーには老舗としての伝統と、変化も垣間見れます。

懐の深い街でした。ゆっくりと時間をかけて訪れたいです。

 

47、巨星逝く。

 3日に66歳で歌舞伎俳優の十二代目・市川団十郎さんがお亡くなりになられた。

生前、当たり役であった「勧進帳」の武蔵坊弁慶が花道で行う飛び六方は、

素晴らしいの一語に尽きる。

短い間に、歌舞伎界は2名の宝を失った。

先日の中村勘三郎さんに続き、ファンの衝撃 は計り知れない。

団十郎さんの生前の言葉で、印象深い言葉がある。

「つらくない人生なんてない。」

団十郎さんも勘三郎さんも、歌舞伎の代表的な家系である。

トップとして屋号を守り、歌舞伎を守ってきた責任と重圧は計り知れない。

お二人とも孤独と向き合う事を知っている。

「覚悟と責任」とは孤独と向き合う事の様に思う。

トップランナーは寂しさと同居している。

 

 

46、湘南と懐かしさ。

 昨日、出張で神奈川を訪れました。

新規のお取引のご挨拶と納品を兼ねて、神奈川西部を廻らせていただきました。

二宮で納品し、小田原から大磯~平塚~藤沢~逗子市と海岸線のお客様へ御挨拶と

MRしてまいりました。

大磯の国道一号線を走っていて大学生の頃の懐かしい映像が頭をよぎりました。

あの頃は時間がたらふくにありましたので、湘南や伊豆へは、よくドライブ行きました。

大磯の小高い山の上の湘南平は、夜景を見によくドライブに来ました。

25年近く前の湘南平へ上がる夜道は怖い位に真っ暗で、車のライトを消して走り、

スリルを味わったり、お化けトンネルや廃墟に行ったりして、朝のファミレスで座った人数

より、1個多くお水が出てきて、仲間やウエイトレスさんとぞっとした事を思い出しました。

海岸線を走りながら、楽しそうな笑顔をたくさん見ました。

江の電と並走し、穏やかな海を見ていました。R134は想いで深い場所です。

帰りは横浜へ立ち寄り、遅い昼食をとりました。

時間無制限の点心を頂きましたが、年ですので胃がもたれます。

若いころの様に食べられませんね。

帰宅し、お土産に買った小田原の鈴廣かまぼこで一杯です。

ウチの家族は練り物フェチです。(笑)